防災・減災への指針 一人一話

2013年11月26日
市民と行政の協働による課題解決の橋渡し役として
多賀城市 市民活動サポートセンターセンター長
桃生 和成さん

初動は安否確認と現状把握

(聞き手)
 発災時に居た場所と状況を教えてください。

(桃生様)
多賀城市市民活動サポートセンター(通称「たがさぽ」)にいました。
たがさぽは市の公共施設で、一般の方が利用する会議室や印刷機もあるので、市民の方の出入りが多い場所です。
発災時も、建物の中には会議室を利用していた方などがいました。
私はその時、玄関付近のチラシなどが置いてある情報コーナーで利用者の方と話していました。
すぐに収まると思ったのですが、揺れが大きいため、利用者の方と二人でテーブルの下に潜って、揺れが収まるのを待ちました。

(聞き手)
その時、印象に残っている事はありますか。

(桃生様)
あれほどの揺れは経験した事がなかったので、建物も崩れるのではないかと心配しました。命の危機を感じました。

(聞き手)
周りの様子はどうでしたか。

(桃生様)
天井から空調関係の部品や、棚からファイルや本が落ちましたが、本棚などが横倒しになる事はありませんでした。

(聞き手)
地震が収まった後はどのような様子だったのでしょうか。

(桃生様)
まずは、利用者にけががないかの安否確認をしました。余震の心配もあったので、荷物を置いたまま一度建物の外に出てもらい、玄関前の木の下に集まっていただきました。

(聞き手)
震災時、たがさぽの建物内には、どのぐらいの人がいたのでしょうか。

(桃生様)
定かではありませんが15人ほどいました。
その時間帯は、利用している人が少なかった事が幸いでした。

(聞き手)
皆さん、やはり恐怖で慌てていましたか。

(桃生様)
身一つで外へ出てもらったので、建物の中に荷物を取りに行きたいという人もいましたが、「待ってください」とお願いしました。
その後、雪が降ってきて寒くなりました。
停電していたため、スタッフのカーラジオから情報を得ていました。
その時、名取市の閖上地区に何百人という遺体があると、ラジオが繰り返し伝えていたのが印象的でした。
その報道が本当なのかどうかわからず、ただ聞いていました。

(聞き手)
津波が来るという感覚はあったのでしょうか。

(桃生様)
たがさぽは高台にあるので、津波が来るという危機感はありませんでした。

(聞き手)
安否確認の他に、利用者への対応として、どのようなことをされましたか。

(桃生様)
たがさぽの利用者は、その後、落ち着いて自宅に戻られましたが、今度は、夕方になると駐車場に車を停めて避難して来る方がたくさん来ました。
その時点では、たがさぽのトイレが一時的に使えたので、貸し出していました。
災害対応用の自動販売機から出した飲み物や、館内にある食べ物を集めて、必要な方に配りました。
車の台数や避難者の人数を見ながら対応していました。
その後、スタッフが帰れる状況になったので、各々、徒歩や車で帰宅しました。

(聞き手)
 東日本大震災以前は、どのような備蓄や対策をしていたのでしょうか。

(桃生様)
震災前は、ほとんど備蓄していませんでした。
現在、水や乾パンなどを一定量備蓄し、非常時のライトやラジオも置いています。当時は、やはり危機意識が低かったのではないかと思います。

(聞き手)
これまでにチリ津波や宮城県沖地震、水害などの経験はありますか。

(桃生様)
開館してまだ6年目なので、私たちが大きな災害を経験した事はありません。
災害経験がなかったがために、そういった点からも認識の甘さがあったと思います。

(聞き手)
たがさぽのスタッフは何名ですか。

(桃生様)
当時は10名でした。大代と中野栄に住むスタッフは、自宅が浸水被害を受け、避難所生活をしていましたが、スタッフとその家族自身は無事でした。

(聞き手)
サポートセンターでは避難訓練は行っていたのでしょうか。

(桃生様)
避難訓練は年2回、火災が発生した場合の対応ということで、利用者の誘導や避難の仕方などを確認していました。

(聞き手)
 震災当時の対応で上手くいった事、上手くいかなかった事は何だったのでしょうか。

(桃生様)
上手くいった事は、慌てずに利用者を安全に外に誘導出来た事です。反省点は備えが十分でなかった事と、情報が不足していた事です。

(聞き手)
防災マニュアルは新しく作成されましたか。

(桃生様)
施設単体のマニュアルというよりは多賀城市の防災計画に添ったものを作成するための議論の途中です。
有事の際に、たがさぽを避難所として機能させるのか、あるいはボランティアを受け入れる施設として機能させるのか、または別の役割なのかという位置づけは確定していません。
施設の位置づけによっては、緊急時の対応も変わってくると思うので、役割を確定させる必要があると思います。
また、災害ボランティアのコーディネーターとして、スタッフの経験値を上げ、災害時にどのような役割を果たすか、議論を重ねていく事も大事だと感じています。
他には、一早く適切な情報を得るために、市役所との連携を密にしていくべきだと思っています。

「行政と市民が一緒にまちをつくる」という考え方

(聞き手)
 多賀城市の今後の復旧・復興に向けて、お考えがあれば教えてください。

(桃生様)
たがさぽは、市民の力で地域の課題を解決して地域をより良くしていくための施設です。
市民が主体的にまちづくりをしていこうという方針のもと、多賀城市が作った施設で、NPOや自治会・町内会、生涯学習団体の皆さんに利用していただいています。
たがさぽを利用している皆さんが中心となって、多賀城市の復旧・復興を支えていただけたらと思っています。
自分たちの力を遺憾なく発揮するためにも、行政に依存するのではなく、自分たちの復興への思いを、自発的行動につなげていただけたらと思います。
このことは、緊急時の迅速対応を取る上でも重要なことで、発災時の初期行動として、行政からの支援を待つだけでなく、自分の身を守るためにすべきことをなし、その上で、お互いをどう支えることができるかということを意識することが重要なのではないかと思います。

(聞き手)
例えば町内会で何か活動したいという時に、たがさぽでお手伝いをしてくださる事はあるのでしょうか。

(桃生様)
お手伝いといっても、私たちが、直接、荷物運びなどをするわけではありません。
例えば、桜木南地区の集会所は津波の被害があって、新しく立て直しました。
そこで、桜木南町内会から、その新しい集会所で住民が再び集える復興イベントをしたいという相談があり、実行委員会という形で、スタッフがプログラムを、町内会の皆さんと一緒に考えた事がありました。
プログラムの内容についてはいろいろ提案をさせてもらいますが、最後に決めるのは役員の皆さん、住民の皆さんです。
他には会議の中で、議論の収集がつかなくなった時に、議論の交通整理をするといった役回りもします。地域に寄り添いながら、一緒に考える事が大切です。

(聞き手)
震災後の多賀城市の市民活動は、どのような状況ですか。

(桃生様)
多賀城市に限っていえば、NPOボランティアはそれほど多くありません。たがさぽは開設して6年目に入りましたが、地域から信頼される団体も徐々に増えてきて、活動の幅が広がるのではないかと感じています。

(聞き手)
多賀城市に望むことはありますか。

(桃生様)
震災の時、多賀城市は、他自治体に比べると、WEBでの情報発信が少なかったように感じます。
海岸沿いの南三陸町や石巻市、気仙沼市がメディアでよく取り上げられていましたが、多賀城市はあまり注目されませんでした。
震災後、たがさぽのホームページやブログのアクセス数が急激に伸びているので、WEBでの迅速かつ正確な情報発信の重要性を感じています。

平時のつながりが大事

(聞き手)
たがさぽを通じて行われた支援活動には、どのようなものがありましたか。
また、支援活動を行うに当たって、注意したことや心掛けたことなどはありますか。

(桃生様)
私たちは「せんだい・みやぎNPOセンター」のスタッフで、多賀城市と業務委託契約を結んで、この施設を運営しています。
「せんだい・みやぎNPOセンター」は、長くNPO支援活動してきた中間支援組織で、震災前から全国的なネットワークもあり、支援を希望する団体の中から、多賀城市の要望に沿った団体の情報を提供したり、繋いだりしていました。
色々な支援の形があり、コンサートをして元気づけたいという依頼もたくさんありましたが、中には静かに過ごしたいという避難所の方もいました。
支援する側の気持ちが相手に届かなければ独りよがりのものになってしまうので、本当の支援とは何かを考えていかなければならないと思います。
色々な考えの方がいますが、支援する側からの目線からだけではなく、支援を受ける側からの視点も必要だと思います。
たがさぽの復興支援の取り組みとして、平成23年3月29日から、市内の避難所調査をしました。
スタッフが2人でチームを組み、市内10か所の避難所の責任者にヒアリングをして、避難所の状況を聞き取りました。
障がいを持つ方や精神的に問題を抱えている方の状況も市に報告しています。
また、平成23年4月28日から5月1日には、市内4か所に統合された避難所の15歳以上の方を対象にアンケート調査を実施しました。これは、多賀城市と被災者をNPOが繋いで支える合同プロジェクト(つなプロ!)として行われた調査です。
避難所で、健康面や精神面でさらに状況が悪化する人を出さない事を趣旨にして行いました。
その中でも緊急的に対応が必要な人には、NPOのネットワークを通して専門家を派遣し、ケアをして、避難所担当職員の目が届きにくい所を補いました。
アンケートは避難者個人情報調査報告書という形で多賀城市に提出し、その後の支援にも活用してもらいました。
調査に至った理由としては、せんだい・みやぎNPOセンターと多賀城市が日々の業務の中で信頼関係をお互いに築いていたからだと思います。
振り返ると、平時のつながりが凄く大事だと実感しました。
急に、実態の分からない団体が来て、「支援をしたい」と言って、地域の中に入っていく事は難しいことです。
普段の仕事の中で信頼関係を作っていれば、いざという時に力を発揮し、連携が上手くいくのではないでしょうか。
緊急時だけ対応出来るような策を練るのではなく、平時から、お互いが出来ることを把握しておくことの重要さを改めて感じました。

市民と行政の協働による課題解決

(聞き手)
課題解決には、市民協働が大切ですね。

(桃生様)
やはり、市民と行政が協働して地域の課題を解決していくべきだと思います。
市民と行政が手を組めば相乗効果が生まれますし、企業や大学などと連携する事で解決出来る課題もあります。
市民の力を高め、行政や関連機関とのパートナーとして市民の自治力を高めていければ良いと思います。
日本全国で捉えても、これからの日本は少子高齢社会がますます進み18歳から65歳までの労働生産人口が減少し、高齢者を支える人口がますます減少していきます。
そうなっても、包括的にサポート出来る仕組みがあれば、安心して暮らせる地域をつくることが出来ると思います。

(聞き手)
一般市民の中にはサポートセンターの活動自体をよく知らない方もいらっしゃるのではないでしょうか。

(桃生様)
積極的な情報発信や地域に出向いてのPRはしていますが、まだまだ足りないですね。
今回の震災では、年配の方にWEBで情報を届けるのは難しいと思い、NPOなどの民間の支援情報をまとめて、多賀城市や自治会・町内会と協力しながら、多賀城市震災復興応援情報誌「えん+じん」3万部を市内に全戸配布しました。

地域づくりの担い手の発掘

(聞き手)
その情報誌は今も出し続けているのでしょうか。

(桃生様)
1年間発行しましたが、地域の復旧状況や各種被災者支援策の状況などを見て、一定の役割を果たしたのではないかという事で、内容を変更して、今は「tag」という情報誌を発行しています。
震災以降、地域のために自分も何か出来ることがないかといった思いを持つ人が増えてきている印象があります。
例えば、毎年恒例の多賀城駅前の冬のイルミネーション「悠久の詩都の灯」は地元の市民活動団体が中心となって、電球の取り付けを行っています。多賀城駅前を活性化しようという事で、震災前からずっと活動している方々です。
このように、今は、地域のために何かしたい人に向けて、地域でがんばっている人たちの情報を届けることに力を入れています。
平成25年度のたがさぽの方針ですが、現役層といわれる20代から50代ぐらいをターゲットに、地域のために何かしたいという地域づくりの担い手の発掘に力をいれています。
「tag」もこの人材発掘に合わせて、デザインも変え、手に取りやすい場所に置き、関心を持ってもらえるよう心掛けています。
また、たがさぽでは、NPOや自治会・町内会向けに組織基盤強化のための講座を実施しています。
例えば、ブログやTwitterなどによる情報発信の講座や、会議の進め方の講座、個別の相談会なども実施しています。
仙台市は歴史的に市民活動が活発なまちですが、多賀城市はまだまだこれからという段階なので、いかに親しみをもって市民活動を身近に感じてもらえるかという事と、地域の担い手の発掘が課題になっています。

(聞き手)
市民の方の反応はどうですか。

(桃生様)
徐々に反応が出てきています。
震災直後、地元の団体ですぐ活動できたところは少なく、市外、県外から来る団体が目立っていました。
市外・県外の団体は一定の期間が過ぎれば、離れていきます。
それを目の当たりにした時に、やはりこれからは地元の人たちが出来る事があるのではないかと思いました。
地元で復興に向けて立ち上がろうとしている人に情報を届けて、一緒に地域をつくっていくことがテーマになっています。
たがさぽをきっかけに立ち上がった団体やプロジェクトもありますので、これから、5年、10年と経った時に、地域のリーダーとして活躍していただけるようになっていればと思います。
長い目で見て、そのような団体やプロジェクトが地域にたくさん生まれれば嬉しいですね。

(聞き手)
 震災を経験して、何が大事だと感じましたか。

(桃生様)
大事なのは自分で考えて自分で行動するという主体性で、これからさらに求められていくと思います。
言われた通りに動いていたのでは何もわからないままですし、何も生まれてこないので、一人ひとりが自分の意見を持ち、判断して行動する力が必要になってきます。
たがさぽを利用している団体の中に、性同一性障害やアルコール依存症の自助グループなどがあり、思いを共有するような場を定期的に設けています。
当事者が自ら発信をする事で問題が明らかになり、「どうにかしないといけない」と解決に繋がっていきます。
行動する事で社会も変わっていくのだと感じています。
社会的に弱い立場にある人が、小さくても声を上げる事によって、社会は変わりはじめます。
声を上げて問題に立ち向かう事はとても勇気がいる事ですので、私自身も、当事者性を意識して、そのような声を大事にしたいと思っています。

第三の居場所として

(聞き手)
震災を経験して、が生まれたという事をよく聞きますが、市民同士の繋がりは感じられますか。

(桃生様)
震災前だと、隣近所にだれが住んでいるかもよくわからないといったケースもあったと思いますが、震災を機に支え合いの大切さを実感した方も多いのではないでしょうか。
以前は限られたコミュニティの中で家と職場の往復という生活が当たり前になっていましたが、これからは、異なる世代や価値観の人たちが出会える場所が必要になるでしょう。
お互いの価値観を尊重しながらもフラットな関係で対話ができる「第三の居場所」として、たがさぽが役割を果たす部分もあると思います。